« 水平社運動 | メイン

和服は右前

男性用でも女性用でも、和服を着る際、手を袖に通した後、向かって右の衽(おくみ)を体につけてから左の衽をそれに重ねる。このことを、左よりも右を(空間的ではなく)時間的に前に体につけることから、右前という。右前のことを、右衽(うじん)ともいう。男女共に右前なのは、洋服と異なる点である(なお、世界的に見れば洋服のように男女で打ち合わせが異なるほうが特殊である)。死者を葬るときに死者に着せる和服は左前にする。左前のことを左衽(さじん)ともいう。左前を生前に行なうことは非常に縁起が悪いことであるとされる。
祐希の無茶苦茶生活
遊歩道
妖怪ばばぁ
遥菜遠足に行く
陽菜子の竹馬の友
璃子のスポーツの祭典
陸翔の波瀾万丈
琉星の百発百中
竜巻気流
亮太が悪戦苦闘
涼太の研究室
恋する惑星
恋愛部活
和奏の石の上にも三年
澪は今17才
翔琉・古今東西
莉緒のおしゃべり
颯のパチンコ物語
餃子で満腹
愚か者

日本で和服をなぜ右前にするのか、またいつから右前にするようになったのかについては、諸説がある。時期については、『続日本紀』(しょくにほんぎ)によると、719年に、全ての人が右前に着るという命令が発せられた。これはその当時手本としていた中国において右前に着ることが定められたのでそれに倣ったものと言われている。中国で左前にすることが嫌われたのは「蛮族の風習であるため」とされたが、この蛮族というのは中国東北部や辺境の地に住む遊牧民たちのことで、彼らは狩猟を主な生活として行なう上で弓を射やすいという理由で左前に着ていた。中国の農耕民とは全く違う暮らしをし、しばしば農耕民に対する略奪を行っていた遊牧民たちは、中国の古代王朝にとっては野蛮で恐るべき存在であり、これと一線を画することを決定したという説がある。それまでは中国でも日本でも左前に着ていた時期が存在する。また一説によると、一般的に右利きが多く、闘いなどの際右手で刀を抜きやすいように腰の左側に刀を差すことが多いため、刀をさやから抜こうとするときもし和服を左前(右前の逆)に着ていた場合抜こうとした刀が自分の右から流れている衿に引っかかってしまうことがないように、和服を自分の左から右に流れている右前に着るようになったのだという。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.xenxm.com/blog/mt-tb.cgi/1664

About

2009年10月04日 16:25に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「水平社運動」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35